金属加工一筋、木村金属工業/チタン工房キムラの歴史
金属加工一筋、木村金属工業/チタン工房キムラの歴史
百年をかけて金属に魂を宿す — 木村金属工業の物語**

木村金属工業は眼鏡製造に用いる材料を開発・製造することを使命とし、
1975年に弊社初代代表、木村博健(きむらひろつぐ)が福井県鯖江市に設立した企業です。
ただし木村一族の金属加工に関する歴史は明治末期まで遡ります。
明治末期、雪深い福井は、冬になると収入が途絶える土地。
その状況を変えようと、福井出身の実業家 増永五左衛門がこの地で眼鏡産業を立ち上げました。
彼は大阪や東京から職人を招き、農家の手内職として技術を根付かせ、
1905年、福井に眼鏡製造という“新たな文化”を芽生えさせました。
(その物語は2023年に映画『おしょりん』で映像化されました)
その招かれた職人の一人に博健の父である木村菊次郎がいました。
木村菊次郎は福井市昭和町(現在のみのり町)に 木村製作所 を設立。
金の厚メッキ技術を確立し眼鏡製造に応用。
その後、眼鏡製造会社「福井光器」を設立、その技術で作った眼鏡が永く使えるという意味を込め、亀万年(カメマンネン)と名付けました。
(今もこのブランドは承継者に受け継がれています。)
父、菊次郎の姿を見て育った4男博健は高校卒業後、父の会社に入社、眼鏡フレーム製造に携わります。
その後会社を離れ眼鏡に使う材料の開発を始め、会社設立に至ります。
起業当初は金張り材料(洋白の母材に薄い金を拡散接合させた材料)の開発、量産工程の構築に明け暮れました。

ようやく量産化にこぎつけ、金張り材料の製造が軌道に乗り始めたのも束の間、大きな資本力を武器に現れた競合を前に苦戦しはじめた頃、ひとつの転機が訪れます。
1980年前後、光学機器メーカー Nikon から父親の会社「福井光器」(この頃は博健の長男が代表)に「チタン製フレームを作れないか」との打診があり、
兄弟で取り組みました。
博健はチタンリム線の研究開発を担当。
当時の眼鏡業界において、チタンは「削れない・曲げられない・扱えない」金属とされていました。
– チタンの癖を読む
– 熱処理の温度と順序を組み替える
– 圧延ロールを独自設計する
開発は失敗の連続でしたが諦めることなく、研究を続けることで、数年の時を経てチタンリム線の量産化に成功しました。
その後は構築した加工技術・工程構築力を応用、進化させ続け
空洞リム
カタルパリム(熱膨張によるレンズのゆがみを吸収する構造の異形線)
模様入りリム
βチタンナイロールリム
薄肉チタンパイプ
を開発。
競争が激しい業界で生き残るため、攻めの姿勢で材料を開発し、積極的に眼鏡企業に提案し続けました。
また、製造現場で形状は同じだが材質が異なる部品が混ざってしまうというミスが起きたことがきっかけで開発した、簡易金属材料分別器「メタルテスター」は自社での活用にとどまらず、他の同業他社や、大手軸受け製造メーカーにも数多く納入されています。
自社開発、製造機器「メタルテスター」
独自の考えに基づく技術を常に改良、進化させることを繰り返すことで、他社より常に一歩先を進み続けることが出来れば、競合が追従してきても、競争には巻き込まれない。その哲学を理念に、博健は小さい工場を切り盛りしてきたことが現在の礎になっていることは間違いありません。
産業転換と衰退の波(1990年代後半–)
1990年代後半、急速に進んだ海外生産の台頭により、眼鏡材料の国産メーカーは大きな逆風にさらされました。
木村金属工業も例外ではなく、事業は苦境へと追い込まれました。
しかし、その中で流れを変える新しい試みが動きだしました。
—2代目、福田淳の入社
2001年10月、彼は福井県内のプレス機械製造メーカーから木村金属工業へ入社。
入社時の指示は、驚くほどシンプル。
「会社に残る技術を使って、新しい事業をつくれ。」
福田は博健が築いてきた
リム線製造技術
金属材料の工程構築力
チタン加工の深い知見
これらを徹底的に学びながら、徹底的に自社の強みを生かす“眼鏡ではない道”を模索し、自社製造、加工を行ったチタン製アクセサリーというひとつの結論にたどり着きました。
そして2001年12月インターネット通販サイト『チタン工房キムラ』を開設。
鯖江で“製造直販”という当時としては革新的なスタイルでチタンアクセサリー事業をスタートさせました。
眼鏡材料製造の技術は、形を変え、新しい市場での挑戦を開始。
考えたデザインが机上の空論とならぬよう、アクセサリーに必要な加工技術の開発に没頭、従来のアクセサリー業界としては珍しい、切削加工によるチタンアクセサリー製造に特化していきました。

それは現在の工業界のトレンドであるNC切削(3 or 5軸)、3DCAD/CAMを用いてチタン加工を行うというもの。
2023年に平行して行ってきた眼鏡部品製造事業を終了、翌2024年には事業所を鯖江から福井県北部の坂井市に移転しました。
2026年1月現在、総出荷件数は44000件を超えています。
豊富な経験、実績を武器に、現在はセミオーダー、カスタム対応といった対応にも柔軟に対応、顧客の要望に沿ったモノづくりにも対応しています。
また、チタンアクセサリー事業で得た新しい技術を応用し、これまで製造してきた眼鏡部品ではなく、まったく新しい分野で眼鏡産業と携わるようにもなりました。
ここ福井県には九頭竜川という川があります。
漁獲資源に恵まれたこの九頭竜川、夏は鮎、そして近年、冬はサクラマスを狙いに全国から釣り人が訪れます。
サクラマスは本来陸封魚であるヤマメが海に下り、外敵から身を守りながら大海原を回遊。大きく成長すると生まれた川を遡上し産卵しその生涯を閉じます。
2代目は言いました。
「サクラマスは狭い川での縄張り争いに敗れたヤマメ。居場所を求め海に下り、サクラマスとなって大きくなってまた川に戻ってきます。
我が社も今は眼鏡から外れ、別の道で紆余曲折しながら新しいことに取り組んでいますが、そこで得た知識を源である眼鏡にまた活用する時が来れば自分がこの会社に来た意味もあったのかな、と思える人生にしたいです。」
モノづくりを軸に歴史・ルーツと技術を「つなげる」、が2代目の思いです。
最終章:金属は、意志を持つ(現在–未来)
木村金属工業が作るチタンアクセサリーは、金属を「加工する」のではなく、金属に宿る性質を最大限に引き出すという哲学に基づいています。
それは、福井へ渡った菊次郎から始まり、今へと繋がっている“100年を超えるの金属の系譜”。
– 金属と対話する感覚
– 材料に最も適した工程を探す執念
– 誰もやらない方法を選ぶ独創性
– 技術を形に変える勇気
これらが、いま作られるチタンアクセサリーの中に脈打っています。
木村金属工業は、
金属を美しく整える会社ではない。
金属の意志を形にするブランドである。
雪深い福井で灯った小さな火は、今日も、チタンという金属を起点に今も静かに、そして強く燃え続けています。
